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2007年08月28日

エアーポケットの様な2日間

26日にプレッシャーのかかる会を終え、昨日今日は大学で雑務&学生ゼミ。
どうも学生は地震の後、進度が極端に落ちている。
すこし厳しめに尻を叩く。
そんな最中に一人の学生の内定通知。
どういう訳だか、学生よりも俺の方が喜ぶ。
よかったよかった。
進路の不安はずいぶん経験してきた。

進路が決まる、ということは大きな安心である。
後は論文のみだよね。いくら泣いていとっても卒業できなくては、就職できない、と激励。

明日からは学会&中越チームとの交流会などなど再び出張が続く。
この二日間は大学で忙しくとも、出張やら現場やらがなくて、なんとなくエアーポケットのような2日間。
やっぱり、住民との対話は内容が良くとも悪くとも、相当張り詰めて望むので精神的に疲れる。
それに比べて自分の部屋での仕事は気が抜ける。
いいことなのか、悪いことなのか・・・

ここで体調も治したいところだが、薬を飲むも、一向に回復しない。
今日は早めに帰宅して、暑いこの時期なのにおかゆを調理。学生の帰省土産の岩のりやらわかめやらショウガやら良さそうなモノを沢山入れて、たらふく食って、、薬を飲んで・・・

さぁ、治るかな?
明日は朝一番の新幹線で東京行ってそのまま福岡です。
あ〜、準備する気力がない。。。

いかんね。。

2007年08月26日

復興に向けたディスカッション

商店街の人達に集まってもらって、午後みっちり3時間やりました。
まず、TK大のM先生に神戸の復興プロセスや体制について話をしてもらう。
途中で、学部3年生の頃に現地でまちづくりのお手伝いをしている俺の写真も出してくれる。
10年前の俺@神戸。あの頃は今の自分など予想できなかったなぁ、、と・・・

続いて、今後どういう体制でやっていくのか、などディスカッションみっちり2時間。
かなり沢山意見がでるなか、「コアメンバー」を決めてまちづくりを進めていくことが決まりつつある。
なかなか、進展を感じる。。。
とにかく、焦る気持ちを抑えて10年後振り替えれるようなよいまちづくりをしよう、ということの共通認識は持てた。
これからコアメンバー&まちづくり拠点でまちづくりを進めていく。
うーん、、、自分の研究室も町中に移したい・・・。
とにもかくにも、保障を気にしたまちづくりから、ピュアーにまちの将来を考えるまちづくりに展開していける感じは出来た。

よいよい。。。
ある意味ではひとつの大きな山を越えた気がする。

これも、大きな成果。
と、勝手に自分をほめる。

しかし、ここ数日、、、
夜冷房嫌いなのに暑いモノだから薄着で寝ていたら風邪引いた模様。
どうも、大きな節目を過ぎると一気に体調壊すパターンが続いている。

今日の会議中もずっとひとり咳。
思わず、休憩時間に商店街のおばさまから、いろいろとお気遣いの言葉&マッサージまでいただいてしまう始末。
いかんな、これでは。体が資本。

早く治さなくては・・・
でも、明日も仕事。明日は急ぎPPTを完成させなくてはならん。

というわけで、これまた、教えていただいた通り卵酒を飲んで寝ます。
卵酒、結構うまいかも。


いざ、出陣

これまでは商店街の人達に、説明や発表、というカタチでやってきたが、今日は議論の場をつくる。
つまるところに質疑応答ではなくて、議論。
いろんな誤解が広がっていたり、いろんな不満がある。
質疑だと、そればっかりに注目が集まる。
それでは、先に進まない。

ということで、今日は議論。
どういう体制で進めるのか、どういうプロセスで進めるのか。
神戸の失敗例、成功例を踏まえて柏崎ではどういう体制とプロセスで進めるのか。

議論。
どうなることやら、、、不安はいっぱい。

しかし、不安でとまっても居られない。
行くぞ。おー。

と、自分を奮い立たせる。

2007年08月23日

紆余曲折

いろんな情報が紆余曲折。
大きな誤解が広がっていること発覚。
っつーか、言い方が最初と違うんじゃないの?という気もする。不満

しかし、現実は現実、怒っても始まらない。
冷静に冷静に、的確に情報共有を進める必要がある。
些細な誤解が時間とともに大きくなる。
対立構図になっては大変なので、第三者の俺が調整しなくてはいけない気がする。。。
時間とお金。
非情な現実が突きつけられるなか、冷静に情報共有を進める必要。


いろんな主体がそれぞれの動きをする。
現場の内外で、あらゆる次元で。
情報の一元化をしたいのに、、、新しい動きがどんどん起こる。
厳しい。

がんばれ、おれ。
と、言い聞かす。

2007年08月22日

東京経由関西出張

京都のK先生にお呼びいただき、オーラル・ヒストリーの活用事例などのレクチャーをしに京都・大阪方面出張。
信越線はまだ地震後復旧していないこともあり、東京経由。
上越新幹線と東海道新幹線を乗り継ぎます。
いやはや、東海道新幹線は久々です。
いろいろ仕組みが上越新幹線と違っていてとまどいます。

しかし、スーツケースもって東京に行くからには行かないわけにはいきません。日光商店。
今日の帰りに東京途中下車して、大久保の日光商店へ。
ココナッツミルク、グリーンカレーペースト、トムヤムペースト、ナンプラーを購入。

夜、超久々の方と飲んで、帰宅。

やれやれ、、、お疲れです。
明日も朝一で大学で各種事務処理、午後から長岡市の会議です。
くたびれ気味です。。

いや〜いかん。。気合いを入れ直しましょう。。。


さて、明日(今日? 22日です)の朝、NHKでえんま通りの商店街が特集されるそうです。
7:45くらいから8分ほど。
ずいぶん取材してたのに、たったの8分?という感じですが・・・
今回は主に商店会長さんがメインだそうです。
わざわざディレクターからその旨連絡がありました。おれ、そんなにミーはーっぷり発揮してたかな?
われわれの活動は9月1日の防災に日に合わせた特集で紹介するとのこと。。。。

というわけで・・・

2007年08月18日

久々柏崎

10日の調査結果発表の翌日から実家に帰り、山梨県早川町に出張。
東京で用を済ませ、早朝に長岡の自宅に帰宅。
どっと出る疲れを取るために1時間程度の仮眠を取って、柏崎に連絡。
1週間も柏崎を離れていた。。。しかし、離れていても常に頭のどこかに柏崎の顔が見え隠れして、結局頭を離れることなく常に気になっていたから、帰って柏崎に行ってほっとしたかもしれない。

商店会長と昼ご飯を食べながら打ち合わせを始め、途中市役所も入り、結局3時間以上いろいろ話す。
理想と現実。
夢があるが時間とお金はない。奔走する会長。
いろんな思い、理想と現実が交錯する。

現場はアーケードが完全になくなり、片側が通行可能になり、だいぶ雰囲気も変わる。
建物の撤去も始まる。
各方面からの動きも起こり始める。
うーん。。。悩ましい。。。。

しかし、大事なのは住民が自分の意志を持つことである。
引き続き、応援します。。。。

と、いって、明日から再び出張。
今度は京都大阪です。
戻り次第柏崎で復興関係の打ち合わせが入る。
とにかく、あらゆる情報の一元化が重要。。。

2007年08月12日

在宅仕事は効率が悪い

10日に柏崎で住民に対してインタビュー成果を発表して、、、翌日、一路実家へ。
日本海沿岸から太平洋沿岸に大移動。
11日は数年ぶりに一家大集合&夕食会。

翌日の今日は原稿書きをしなくてはいけないのにはかどらない。
うーん。。。いかん。。。。
明日は、恩師と昼食&夕方は中学以来の友人と夕食。
明後日からは山梨へ出張。
明日中には原稿をあげなくては・・・

山梨に14-16で、17日に東京で若干の用をすませて、18日再び柏崎で打ち合わせ。
19日からは京都出張です。長岡-東京-京都の大移動です。
新幹線に5時間ほど乗ることになるのかな?こりゃ、大変だ・・・。

というわけで、柏崎の現場にいないときに柏崎以外の仕事を挙げておかないと・・・・
と、頑張ります。

2007年08月10日

怒濤の一日、節目の一日、スタートの一日

今日は(も?)怒濤です。

午前中は長岡の景観アドバイザー会議で新潟へ。
朝9時半に新潟なので家は8時過ぎに出ればよい。普段からずればずいぶんゆっくりである。
なので、インタビュー調査の調査票を全員分目を通して、概略を把握しておく。
アドバイザー会議でははやり柏崎の中心部の復興についてみなさん関心あるようでした。

終わった後、大学に急行。
学生が持ち出し忘れたものなどを持ち出して、大学に無理言って開設していただいた「地震調査室」の片付けをして、中心部へ。
被災翌日からカセットコンロで開業したお店でランチ。さくっと食べて会場設営。

で、集まった地域の方々は40名くらいかな?
最初はおとなしかったが、だんだんエスカレートして議論が白熱する。
これだけ議論できる集会も珍しい。
教員もついついしゃべりまくる。あつい議論になりました。。。

なんと、いっても皆さん元気です。特に女性陣。
報道陣も商店主も学生も教員も関係ない! みんなでのもう! と提案を持ちかけられる。
建物倒壊で通行止めなんだから、、、道路で飲もう!と・・・

すばらしいですね。

その後、N大の先生から「県内の大学がこんなに協力してひとつのことに取り組んだのは史上初。これも田口さんがいなかったら出来なかったよ」とお褒めいただきました。
たしかに、僕の哲学は一人で全部の役割は終えない、さまざまな役割をコーディネートすることが重要。
そういう意味では俺が中心でいろんな人達をコーディネートできたので良かったのでしょう。

しかーし、これはあくまで始まりの始まりの節目であって、これから怒濤の数年間が始まるのでしょう。。。

はたして、数年後のえんま通りはどうなっているでしょう????

とにかく、盛り上げていきましょう!!!

2007年08月09日

まとめ段階

明日インタビュー結果を商店街に還元する。
午前中2チームだけアポイントの取れているインタビュー先にインタビューに出して、残りは大学の会議室でまとめの作業。
統計処理と自由回答についてはKJでまとめていく。
学生はこれを1日やってくれる。

われわれ教員は明日の流れと明日以降の流れの打ち合わせ。
明日はとにかく、地域の人達が同じ土俵に立つことを目標とする。
月末の濃い数日は、住民も精鋭有志にしてガッツリ議論をすることとする。

さて、明日、どうなることやら。。。。

そんな時、大学の先輩が隣の小千谷に引っ越してきた、との一報。
しかも、8月に越してきてテレビを見ていたら俺が出ていたので、メールした、とのこと。
テレビの力はすごいな。。。

どうも、あちこちでたびたび出ているようですが、、、
俺自身は一度もそれを見ていない。どんな風に報道されているのだろう????
明日もテレビが数クルーくるという。
どうなる事やら・・・

2007年08月08日

走りすぎ?

地震からあっという間に3週間が過ぎる。
早いような遅いような。とにかく一瞬で過ぎたようでもあるが、その前の学会北陸支部は遙か昔の出来事のようにも感じる。

今週からえんま通りのインタビューを初めて概ね完了しつつある。
明日からまとめに入って、明後日は早くも住民に還元第一弾。
とにかく、どんどん情報を出して行かなくてはいかん。

今日は午前中インタビューをして午後は学科会議もあり大学に戻る。
研究室のゼミ。お盆休暇前に休み中にやることなどを指示。
地震後すっかり止まっている。
やらなくてはいけない、といってもやっていない。
「おれが穏やかでいられる内にちゃんとやってね。」と釘を刺す。
俺が与える情報に最初は敏感であっても、だんだん慣れてきて、、、贅沢になる。
「おれも人間。 いつまでも与え続けてもらって自分がそこから選べばいいという態度をとるともらえるモノももらえなくなる」
すこし、釘を刺す。

再び、えんま通り作業に戻り、集計方法、まとめ方法、プレゼン方法など指示。
お盆明けに再びディスカッションして住民に提示。
その結果を持って福岡での学会でプレゼンテーション

それにしても、ずっと復興にかかりっきりで居たときから学科会議で一瞬気を緩めると一挙に疲れが出る。
家に帰る。。
なんだ、この疲れは・・・
考えてみればここのところ毎日睡眠不足の炎天下の調査を続けてきた。
なにせ、県内各大学から集まってくれている学生が頑張るモノだから、その準備とまとめを帰宅後と調査前にやると必然的に睡眠不足。
しかし、眠くはならない。というのがいささか恐ろしい。

とにかく明後日まではこのテンションで抜いて・・・
11日の茅ヶ崎行きからすこし気を緩めよう。


11日に茅ヶ崎に帰って12日に恩師に会うべく連絡を取る。
中学高校と過酷な練習で相当の精神力がついた。おかげで今でも多少のハードな生活は何ともない。
その部活の恩師は未だ現役。
ご挨拶に参りたいと連絡すると、オープンウォーターレース(つまりは競技遠泳)の帰りに俺の実家の近くを通からそこで会おうと・・・
60前にして、未だ現役ばりばりのスイマー。
まったく、そのエネルギーに脱帽。

おれも頑張っていることを報告したい。

2007年08月07日

オープンな合意形成の必要

インタビュー2日目。
結構多くの方の話が聞けている。
しかし、様々な意見がある。
こうしたときに、一部で意志決定がなされて進んでしまうと非常に危険である
というわけで、改めてこうして我々が回ることに重要性を痛感したのです。

とにかく、オープンな合意形成のしくみを早い段階で定着させる必要を痛感。

また、中心部に住まう利便性も次々と挙がる。まちなか居住ライフスタイルがある。

今日もメディアの取材多数。
先週の全国紙地方版、全国紙夕刊につづき、今日は地元紙にカラーで掲載。
今日もローカル紙、全国紙、TV3社。夕方、地方局からも電話。
取材の嵐である。

夕方、全国放送のニュースで俺のインタビューが流れた、と調査から戻るとメールが来ている。
地方ニュースって聞いた気がするが、、、東京では流れたようです。
注目を維持することも重要。
メディアにも継続取材をお願いしているが、、、こればっかりはどうなるか、分からない。
ただ、どういう訳かメディアの人達、同じ大学出身者がやたら多く、年も近い。うまく人間関係つくって継続取材してもらえないか、、と思う。。。

メディアの力は絶大であるので、うまく利用できればよい。。。
しかし、おかしな記事を書かれぬよう注意も必要である。。。


そして、今日は原爆投下62周年でもある。
柏崎は今日も灼熱。思わず昼時空を見上げた・・・


2007年08月06日

インタビュー開始

住民意向のインタビュー開始。
(内容は、一応10日の発表会まで伏せておきます)
機械的な調査ではなく、お話をする、というくらいの柔らかいモノです。

いつも通り8時に研究室に行き準備&大学の事務処理。
9時前に研究室学生が集まってくれたので手伝ってもらう。
某TV来学。打ち合わせ段階から撮影とのこと。
ディレクターと話して発覚。同じ大学&同じ学年。おぉ〜。
そういえば、先週取材を受けた某通信社の人は同じ大学&1コ上だった。。。
それはよいとして、、、打ち合わせ。
参加学生15名くらい、教員7名くらいの自己紹介。
震災の状況を説明、今回に至る経緯、今回の意義を説明。
インタビューの内容も説明。
チーム分け。各大学を混ぜてそこに教員が一人以上張り付くフォーメーション。

で、出発。
最初に概略を聞き、チームに分かれてインタビュー。
夕方まで。日焼けです。
大学に戻り、情報共有。&明日の進め方打ち合わせ。

18時頃、解散。怒濤の1日。
研究室に戻るとドアに一般学生からの張り紙。→対応。

帰宅後、明日の取材準備。
気付くと、スケジュールがタイトな部分がある。
やるしかない。
タイトですよ〜と関係にメール送付も、読まない人もいるだろうから、明日すぐにでも始められるように段取りをしておく必要がある。

マスコミ各所から電話がかかってくる。
一度あったことある人は携帯に、研究室で準備&片付けしているときは大学代表経由で・・・
いろんな人がいる、いい人も居れば、自分本位の人もいる。
自分本位の人にはついつい、対応が適当になってしまう。
それで悪く言われてはたまらないから、心は大きく、被災者に最大限の配慮を・・・。

あっつい。

今日はたまった仕事をやるべく、家で丸1日PCに向かうも。。。
あっつい。。。
冷房嫌いなので、家の窓という窓を全部開けるもイマイチ風が抜けない。。。
体がベトベト・・・
あ〜〜〜

という中もまた、マスコミから電話があり、明日の取材の調整。。。
あ〜。明日がプレッシャー。。。。。。
こんなドタバタの中だからアポイントとれない、っちゅーのに・・・
なかなかいろんな先生とのコラボは、バックグラウンドを共有していないから、、、なかなか共通理解に至らない。。。
共通理解だとおもっても、なにかを創ってみると、ニュアンスが違うことが何となく分かる。。

うーん。。。。
明日が不安になってくる。。。
うまくスタートアップ出来るだろうか・・・

まぁ、自分の思い描くのは後から一人粛々とやるしかないかな??? 

しかしTVの人曰く、「TVが何社か入ると、それだけで、圧迫感あるので、それは避けたい」とのこと。。。。
あれ?
この前はちっちゃなハンディカメラだったから、今回もそれだと思って居るんですけど・・・
そんな圧迫感あるカメラで取材はいるんですか???
それはイヤだな・・・

明日の朝の打ち合わせからカメラはいるらしいから、そこで判断しよう。。
調査地被害にならぬよう・・・

2007年08月04日

プレッシャーですね

ここのところ来週からの本格始動に向けていろいろと準備に追われております。

当然、あたらしい動きなので、マスコミも気になるようです。
今日は町会長といろいろとお話をしていると、町会長が「そういえば、○○通信の人が話したがってたよ」という。
は?
で、その人がやってくる。
インタビュー。どうして俺のこと知っているの?
となると「新聞見ました!」
は? 新聞に載ってるの?
と、記事を見せてくれる。
あれ、載ってますな。。。全国紙地方版ですが、、、しかも2日。
ネットにも記事載っていました。。やれやれ・・・
これは知らなかった。
されには、今日は某全国紙全国版の夕刊にも出ているようです。
うーん、これはプレッシャーである。。。

来週は某テレビの取材、今日のインタビューも記事にする方向、という。

だんだん怖くなりますね・・・。

それにしても某TV局は沢山取材チームが入っているようで、、、横が繋がっていない。
もう3チームくらいの取材を受ける。
ひとつは報道、ひとつは国際番組、ひとつはニュース。
よう分からん。。。

2007年08月03日

えんま通り 復興にむけて頑張ってます!

柏崎の中心的な商店街であるえんま通りの復興に関わってます。
震災直後から動き出してどうにかしなくては、、、としていると、どういう経緯か分からないが、、、繋がった。
えんま通りは倒壊家屋も多く、危険と言うことでいち早くアーケードを撤去。
すぐにこれからの方針を出す必要がある、ということもあり、繋がった。

来週から県内の大学を柏崎にあつめて一挙にインタビュー調査にはいる。
このばたばたの中でアポイントは取れず、、とにかく突撃とせざるをえない。
先週の住民集会でその旨伝えて、今日からは自衛隊の食料配布のところに張り紙もする。
うまくいくことやら・・・

とにかく、えんま通りは会長さんはじめみな、頑張っている。
今日も、細かい話をしに行ってきて、、、打ち合わせ後しばし、雑談。
いろいろと思いを話す。
強気で振る舞ってきたまだ若い(とはいっても俺よりも遙かに上ですが・・・)会長もいろいろと悩んでおられる。
わりとフランクに話ができた。
本音もいろいろと話してくれた。
いい関係を築けつつある。
今度、商店街の若手と飲みながら議論しよう、となる。

しかし、震災2週間ですでに復興に向けて動き出す商店街はすごい。
頑張って応援します。
だんだん、あまり目を向けていなかった柏崎中心に引き込まれつつあります。。。
やっぱり、どこでも人間と付き合うとその場所の魅力にとりつかれていくな。。。

というわけで、来週は某TVが我々に張り付くようです。
一昨日、いくつかの全国紙の取材をうけ、昨日はうち1誌が研究室にやってきてインタビューをうける。学生もインタビューを受ける。
今日か明日の全国版夕刊だそうです。
とにかく、注目してもらえることはいいことだと思って動く。
これを期に柏崎の地に足ついた再生ストーリーが始まっていけばよい。

それにしても、こんな時に長岡は昨日今日と花火大会。
なんと、2日間にわたる花火大会。
長岡花火は日本3大花火と呼ばれるらしく、すさまじい人らしい。
しかも、いいのかわるいのか、我が家はあまりにも絶好のポジションにあり、周辺は通行止め。
通行証を見せないと我が家にはたどり着かないのである。
花火が始まっちゃうと長岡帰れませんよ、という学生や他教員の脅しによって、夕方に柏崎を後にせざるを得ない。
帰宅後仕事をするも、花火のとんでもない爆音で家中がビシビシとなる。。

長岡に居たおかげで被害も大きくなく、すぐに動き出すことが出来たが、こうしたときは困りもの。。。

2007年08月01日

商店街会合

午前中、関係各所との連絡に追われ、お昼に学科会議。夏にやる予定だった特別講義などの振り替え方の検討など。
復興まちづくりも重要だが大学カリキュラムも重要。
大学運営のための議論もする。
また、事務処理の仕方なども諸々会議。

終わってから、午後予定されている中心部の商店街の会合用に打ち合わせ資料をさくっと、つくっていざ中心部へ。
駅の海側への道は通行止め&渋滞のため、再び駅の手前に駐車して徒歩。
今日は30度超えの真夏日。暑い。
商店街の会合はシャッターが開かなくなったお店の割れた窓を皆がくぐってはいる。
集まった地域の人は50人はかるく超えていて、60~70人くらいはいたか。
そこで、アーケードの撤去や倒壊建物の除去の情報共有がどんどん進んでいく。
皆真剣に意見交換。

最後におれも紹介されて、地域の大学でも取り組む旨告知。自分の考え方も表明。
ここでこそ、オープンな議論重要で、みんなでビジョンを描こうと、話す。
ちょいと、情熱的に話しすぎたかも・・・
応援意見をもらう。
終わった後、来ていた各種メディアからの取材。
初めてマスコミに取り囲まれました・・・
でも、彼ら、人が話している脇から名刺出してこないでよ、、、、という感じ。

いずれにせよ、注目されることは重要である。
来週のインタビューもしっかり取材してもらいたい。
とにかく、これほど柏崎のまちに注目が集まっていることはない。
これを有効に使って行かなくては・・・

それにしても今日の商店街は大半の建物が倒壊。
もともと知っている人の店も倒壊したとのこと。
しかし、それを残念がっている暇はない。自分の店の除去手順をてきぱきと説明しているひとたちは力強い。
そんな人達に「田口先生が考えていてくださった、って知ってやる気がわいてきた」なんて言われてしまうと、重責を感じる次第です。。。

マスコミは俺とこの商店街の会長がどうして繋がったのかに興味があるようだが、、、なんとも説明がつかない。
俺が自分で動き出して、、、会長も動き出して、、、だれかが繋いで、彼は僕の研究室の打ち合わせにやってきた。
どちらからアクセスという次元でないのになぁ・・・

会合終了後、とにかく情報共有が必要なので、掲示板の設置場所を再検討。
自衛隊が食事を提供している場所の脇の建物の壁面が良い、ということになる。
この壁面の建物の人も、偶然以前からの知り合い。話は早い。
すぐにベニヤ板を並べてもらって、市に連絡。
市が持っている各種地図を貼りだしてもらうことにした。

とにかく、情報を隠さないであるものは共有していくことが重要。。。

頑張ります。。。